正確に言うと、無縁バターの方は今から本番の出演者の関係で、早めに通し稽古まで終えてほぼ完成にし、今はファミコンの稽古ばっかりやっている。
そして稽古しながら、かなり難産だった台本を何度も何度もリライトしている。
同じような要素を入れつつ順番を変えてみたり、それでスッキリして空いた部分に、書ききれなかった部分をそっと差し込んでみたり。
もともと『ファミリーコンフューザー』は、90分120分がふさわしいくらい巨大なテーマと、複数の視点と、並行して走る複数の物語がある作品なので、50分に収めるためには、どう並べ替えても「こっちが入りきらない」「こっちが薄くなる」などとパズルに頭を悩ませることになる。
そもそも一幕もののファルス型シチュエーションコメディ(嘘ついて誤魔化して勘違いして伏線ドーンっていうやつ)は、ただでさえ「パズル」とかいわれてるんだけど、今まで自分が書いた伏線ごちゃごちゃ系なんて目じゃないくらいに、考えなきゃいけない要素・可能性が多い。それだけ、やりようによって幅が広がるってことなんですが。
で、まぁ面倒くさくてしかも俺理論みたいなの書いてもしょうがないんで本題。
50分の中編作品を書くようになってよかった、と思っている。
ある程度ちゃんと物語りもテーマも語れる尺で、かつ勢いじゃ押し切れない尺で、でもやっぱりガッシリやると結構短い尺。
昨年の『みんなのへや/無縁バター』でこれをやりはじめたけど、演劇の尺における1分1秒の価値について、以前より非常に敏感になったと思う。
2時間超の他人の作品観て、「この尺でまだこれしか進んでないのかー」とか「もっと必要な情報をタイトにまとめられるだろー」とか思うこともしばしば。
なんて書くとアレだな、自分に跳ね返ってくる言葉だな、と思ったけど、自分へのハードルとして書きました。
脚本って、要素を詰め込めばいいってモンじゃないし、情報量も圧縮すりゃいいってモンじゃない、とは思う。最近思ってきている。けど、自分はやっぱり「笑えて」「グッときて」「テーマの一部を担う」を一発で適えるような一石何鳥の機能的なシーンに憧れるし、自分の脚本をそういう「ウマイこと言った」で埋め尽くしたいと思う。
やはり、50分二本立てをやりはじめ、その時間的制約によって、一石何鳥を強いられることが多くなったので、このスキルは伸びているし伸ばさせられている。と感じている。
そんなことを考えて、初稿で関係者や自分がグッときたポイントを、いかに喜劇の台本として機能的に出来るかを気にしながら、リライトにいそしんでおります。つってももう、何度かやったリライトも大詰めだな。あとは稽古場のみでの勝負にしたい。
そんなこんなで、「マジで?この内容とこの要素を50分で?しかも基本ずっと笑わせながら?」と言われようとしている作品『ファミリーコンフューザー/無縁バター』の詳細はこちら。ご予約はこちらから。
どうぞよろしくおねがいします。